“永遠”の道を拓いた女性

1947年、ひとりの女性のインスピレーシ
ョンによって4語のフレーズが世に送り出
されました。「A Diamond Is Forever
(ダイヤモンドは永遠の輝き)」---誕生から
70年以上を経た今もその魅力を失うこと
のない、史上最も有名なキャッチコピー
の誕生の瞬間です。

ダイヤモンドが“永遠”に
なるまで

ダイヤモンドエンゲージリングの歴史は
15世紀にまで遡ります。王族や貴族の間
「誠実」、「愛」、「結婚」の象徴
して身に着けられるようになったのが
始まりです。

19世紀に入り産業革命が起こると、ダイ
ヤモンドは一般市民の手にも渡るように
なります。しかし、二度の世界大戦が招
いた破壊と破滅により、ダイヤモンドは
一時その輝きを失います。その輝きを取
り戻したのがメアリー フランセス
ゲレティ。フランセスは1943年、フィラ
デルフィアに拠点を置く広告代理店、
N.W. エイヤー アンド サンでキャリアを
スタートします。男性社会だった当時、
く女性であるフランセスが任されたの
は、女性向け商品だけでした。その主な
顧客にデビアスがいたのです。

N.W. エイヤー アンド サンで働き始めて
4年が過ぎたころ、1947年のいつもと変
わらないある日のことでした。デビアス
の新キャンペーンのためにアイコニック
なキャッチコピーを考えていたフランセ
スは、一連の作業を経て夜遅くまで働い
ていました。そして遂に、彼女にインス
ピレーションが舞い降ります。彼女が記
したのはたった4語のフレーズでした。
「A Diamond Is Forever 」 --- それは
彼女の強い意志と努力の結晶でした。

翌朝、フランセスは同僚に囲まれなが
ら、そのキャッチコピーを発表します。
その異例のスタイルは当初は敬遠されま
した。しかし、後にダイヤモンド業界だ
けでなく広告業界をも変えていくことに
なったのは、このキャッチコピーだった
のです。 

フランセスの才

強い意志と野心を持ったフランセスは、
広告業界で働く数少ない女性のひとりで
した。正確には、どの業界においても働
く女性は少数に過ぎませんでした。1940
年代から1950年代にかけて、女性の多く
は家庭の主婦であり、家で子どもの面倒
をみて、家庭を切り盛りすることが彼女
たちの役目だったからです。しかし、
フランセスは先進的な考えと能力を持っ
た女性でした。 

フランセスは、女性でも男性と同じ成果
を収めることができることを証明すべ
く、熱心に働きました。そして、
「A Diamond Is Forever」というキャッ
チコピーが生み出した影響力により、
見事にこのことを証明し、道を拓いたの
です。アドバタイジングエイジ誌によっ
て、「20世紀で最も偉大なスローガン」
として称えられたこのキャッチコピー
は、時代を超えて永遠に意味のある遺産
となることでしょう。

女性の社会進出や職場での地位向上に影
響を与えたフランセスは、変化の先駆け
でした。それは、1940年代に起きた女性
の平等を実現するための変化の兆しでも
あったのです。 

男性優位の世界で女性のために道を切り
拓いてきたフランセス。デビアス フォー
エバーマークもまた、女性の地位向上の
ために尽力しています。ダイヤモンド産
出国における女性の地位向上を目的とす
るデビアス グループと国連とのパートナ
ーシップ、「For Women. Forever」へ
の継続的な取組みなどはその一例です。 

ダイヤモンドは永遠の輝き

「A Diamond Is Forever」---これを、
ただの4語のフレーズと捉える人もいる
でしょう。しかし、この言葉はもっと多
くを意味します。これは、社会における
女性の力と変化の象徴であり、永遠に続
く愛の象徴でもあるのです。 


クレジット

「マッドメン」のキャスト画像 — Dan MacMedan/Contour/Getty Images 


Now, Forever

永遠に変わらない価値を持つものがあることを、私たちは信じています。人は、ときには回り道をし、成功や挫折を経験しながらそれぞれの旅を通じて
真実の愛を目指します。今あなたが刻む一歩も
永遠へと近づくための一歩なのです。